自立支援法 認定調査

 先日、はじめて認定調査に立ち会わせてもらった。生活というものは、いろんなものの連続性の中で成り立っているのだと実感する。この方はつい半年前までゴミの山のなかの万年床で閉じこもった生活をしていた人なのだ。当然、風呂も出かけるときには入るが普段は入らない。万年床だから生活リズムもバラバラで昼夜逆転に近いような生活。当然、身体の調子はよくなく処方されている薬以外に配置薬や市販薬を服用。その金額たるや月に5000円を超える。動かないために便秘がちでヨーグルトを届けてもらう。楽しみは食べることくらいだからと出前を頼めば1人前では届けてくれぬと2人前を食べてしまう。当然、お金のやりくりもうまく行かず、気がつけばキャッシングなどで借金が増えている。そして太りすぎだから少し歩くと膝が痛み、鎮痛剤を服用。簡単に言ってしまえば悪循環なのである。そして春よりホームヘルプサービスを利用開始。加えて傷みが激しかった住宅を生活保護の一時扶助をうけてリフォーム。そして現在は結構快適な住居になり、ヘルパーさんがくるからと生活リズムも整いだし、リフォームの際に交換してもらった新しい風呂釜で毎日シャワーをあびるようになった。時に沢山食べてしまったり、薬を余分に飲んでいたりすることはある。しかし体重は10キロ以上減り、元気である。いくら栄養指導でいろいろ注意しても減らなかった体重はいとも簡単に減ってしまったのだ。こんなものなのである。しかし、これからが大変である。よくなった生活で認定調査を受けると果たして障害区分に認定されるのかということである。認定調査員は頭をひねるものの、困ってしまっている。結果はどうなることかわからない。
 ここで二つのことを言いたい。一つは大きな変化はこの数ヶ月のことではあるけれど、その前に何があったのかということである。「ホームヘルプサービスを申し込みましょう」「生活保護の一時扶助の申請をしましょう」「はい、そうします」そして「お願いします」「わかりました」「すぐに手配します」とことが簡単にすすんだわけではないということである。行政窓口係とあきれるような電話での会話が何度も繰り返された。その内容は思い出すだけで腹立たしい。ソーシャルワークはプロセス重視だからそれを大事に思うと言うのは単なる皮肉である。
 そして二つ目は自立支援法の認定調査では本人の状態が問われるが、やっぱりおかしいということである。本人のしょうがいはしょうがいなんだから仕方がないはずであるが、その程度を測ってどのくらいサービスが必要かとコンピューターで判定するのが自立支援法であり、介護保険法である。しかし、本当に問うべきはしょうがいがあっても生活に支障がないような支援ができているのか、つまり問われるのは支援をする人、社会なのだと思う。他人から評価されることは良い評価なら喜ばしいが、できる・できないをできることが良いという価値基準の中でできないことを評価されるのは快くない。それをしょうがい者だから評価されるのが当然というのも私は納得ができないのである。